かれこれ10年以上はトラックボールをメインのPC用ポインティングデバイスとして使っている筆者。一番使い慣れているのがロジクールM570/M575/MX ERGOなどの親指トラックボール、次点でThinkPadのトラックポイント、その次に一般的なノートPCのタッチパッドという具合で、おそらく普通のマウスをほぼまともに使えない異常PCユーザーに成り果ててしまいました。
私が手を出した頃のトラックボール界隈というのは今にも滅びそうな場末のジャンルでしたが、ここ数年はエルゴノミクスの文脈で再注目され、リモートワーク需要の追い風も受けながらかつての惨状が嘘のように活気付いて来ましたよね。新製品もよく出てくるようになった……と言っても、よくよく見ると元気があるのはほぼ取っ付きやすい親指型だけで、かつては優勢だったはずの人差し指・手のひら操作型の大玉は相変わらず時が止まった過疎ジャンルになってしまっています。
トラックボール界隈では「親指型 vs. 大玉」の論争は永遠の火種でありますが、ただでさえ声のでかい老害こだわりの強い個性的な方が多い大玉派に、「親指型ばっかりチヤホヤされやがって……!!」という僻みが上乗せされた結果、比較的新しめの大玉系のレビュー記事なんかを見ると「親指操作ではトラックボールの長所を1mmも理解できていない」「親指派はエアプのアフィカス」という類の過激な主張が加速している始末です。
彼らのクソみたいな主張に耳を貸す気は1ミリもないのですが、長年トラックボールを使っておいて大玉は一回も使ったことがないなと思い、いっぺん試してみることにしました(※お察しの通り、この記事は宗派の違いによる過激な意見を少なからず含んでいるので苦手な方はこの辺で)。
今回買った物:Kensington SlimBlade Trackball(K72327JP)
2022年11月現在、大玉トラックボールをなにか買うとしたらケンジントンかエレコムかと思いますが、エレコムの大玉搭載機(HUGEなど)に関しては左右非対称の異形で右手専用となるため、昔ながらの大玉トラックボール本来の操作性や良さを理解するという目的ではちょっと違うかなということで今回は除外。
となれば、伝統の「ExpertMouse」シリーズの現行モデル(通称EM7)か、ちょっとモダンな「SlimBlade Trackball」かの二択です。どちらかと言えばEM7派が多いのかな?という印象でしたが、以前からSlimBlade Trackballには少し憧れていたのでそちらを選ぶことにしました。13年前の製品とは思えないぐらい、今見てもカッコいいデバイスなんですわ。
ボタン部分まで一枚の板で構成されたヌメッとした光沢ガンメタ塗装のボディに、ワインレッドの大玉が妖しく鎮座するだけのフォルム。宇宙船の艦橋にでもありそうな近未来的なデザインです。
ボタンの周囲にある銀色のリングは一見スクロールホイールか何かに見えますがただの飾りで、実際にはボールを水平に回すことでスクロール操作ができます。周囲のパネルは切り込みで四分割されており、それぞれにクリックなどの操作を「Kensington Works」というソフトを使って割り当てられます。
大玉トラックボールでは通常、操作球の真下にセンサーを置くのがセオリーであり、操作球のサイズと本体の厚みを合わせると机上からかなり高さが出てしまいます。もちろんそこはパームレストなどで調整すれば良いのですが、ノートPCや薄型キーボードを使うユーザーも珍しくない現代においては、高低差による操作性の悪化も無視できない弱点です。そこで、SlimBlade Trackballは縦方向と横方向の動きを分けて検出するデュアルセンサーを採用することで、球が本体を貫通して机ギリギリの低さに迫るほどまで詰めて薄型化を実現しました(それゆえ、他の物の上に置くのは厳禁です)。
そうそう、我々はついこのトラックボールを指して「SlimBlade」と呼びがちですが、実はSlimBladeというのはこの製品がかつて属していたシリーズ全体を指す名前なのだそう。SlimBladeシリーズにはサイズが統一されたキーボードやテンキーなどもあり、左右に連結させてスタイリッシュなデスクを構築できたようです。他の製品はとっくの昔に終売になってトラックボールだけが残っている状況ですが、本体左上の謎の突起などに合体機構の名残があります。
補足:今から買うなら2021年マイナーチェンジ版を買うべし
2009年から13年にわたって販売されているロングセラー商品のSlimBlade Trackballは、途中で何度か品番が変更されています。直近では2021年8月にひっそりとマイナーチェンジが行われており、その改良内容が割と重要なので、今から買うなら必ず新型番(K72327JP)を確認してから買うことをおすすめします。
見た目で分かる違いは、白?グレー?の変な色だったUSBコネクタがケーブルと同じ黒色になった程度ですが、中身の変更点が重要。専用ソフトウェアなしでも標準HIDで4ボタンすべてが動作するようになったほか、合体機構のために四隅に内蔵されていた磁石が廃止されたのです。
順を追って説明すると、まずボタンの件。実はそれ以前のモデルでは、ドライバを入れられない環境では左下(左クリック)と右下(右クリック)しか動作せず、左上・右上の2ボタンが使えない状態でした(Linuxのみ別対応のため例外)。どうやら発売当初は単なるポインティングデバイスではなくマルチメディアコントロールにも使わせたいような構想があったそうで、現存しないソフトのための操作が初期値で割り当てられたまま残ってしまっていたようです。
制御ツールを入れればいいだけの話ではあるんですが、業務用PCなどではそうも行かないので困りますよね。K72327JPでは左上ボタンの初期値が中央クリック、右上がバックに変更され、4ボタンすべてが標準HIDでも機能する仕様に変わりました。
合体機構の件は、先述の通りSlimBladeシリーズにはかつてはトラックボール以外の製品もあり、左右に連結できるようになっていました。トラックボール以外の製品が消滅した後も使われることのないギミックが残され続けていたのですが、K72327JPでは左上のタブと右上の溝こそ残るものの、四隅に入っていた磁石が無くなりました。機械式時計なんか持っていると予期せぬところに磁石が入っているのはリスクでしかないので、もう不要なら外してくれたのはありがたいな、と。
親指トラックボーラーが大玉に挑戦してみた感想
ここからは実際にしばらく使ってみてどうだったか、という話に移ります。SlimBlade自体が割と個性的な製品なので、SlimBlade固有の要素と大玉自体に初挑戦してみた感想は分けて書こうかと思います。
SlimBlade固有の部分について
実を言うと、周囲の大玉ユーザーからは「EM7にしよ!」って言われてたんですよね。それを振り切ってSlimBladeの方がカッコいいし昔からルックスだけ好きだったという理由でこちらを選んだのですが(ひどい)、SlimBladeのクセに起因する不満はほとんど感じませんでした。
「SlimBladeはどうも合わなかった」という人の大半は、スクロール操作でつまづくようです。EM7のように操作球の外周に専用のスクロールホイールを持つわけではなく、カーソル移動と同じ球を水平に回す(垂直軸以外には動かさないようにする)という独特のスクロール操作は、たしかに慣れというかコツがいる部分ではありますよね。簡単なやり方としては、銀色の飾りリングに指を沿わせるようにして回せば安定してカーソルの誤移動を起こさずにスクロールできます。
余談ですが、このスクロールのギミックに関連して、わざわざスピーカーを組み込んで小さな音でカチカチと疑似フィードバックしてくれるのはシビれますねぇ。こういう実用上何の意味も持たない部分の無駄なこだわり、一昔前の高級デバイスらしくて好きです。
あとは、ボールの四方にあるボタンが独立したパーツではなく切り込みを入れただけの本体外装の一部というのも、見た目は素敵ですが慣れが必要なポイントですね。構造上、押せる範囲というか「無理に力を入れなくても押せる範囲」を最初は把握しづらいのです。私は最初、クセで右下から斜めに右手を置くような構えをしていたため、左下ボタンへの親指の置き方が不自然になってしまい、妙に力を入れないと押せずストレスを感じていたのですが、正しく真下から手を置いて親指と小指を下段のボタン、人差し指~薬指を操作球に置くようなフォームにすれば、上下段どちらのボタンも無理なく軽い力で押せるようになりました。
大玉全般について
大きいボールの方が慣性が付きやすく高解像度やマルチモニターの環境でも長距離移動が楽だとか、大きいボールの方が細かい操作がしやすいなどといった操作性に関する言説は、仕組み上はそうなんだろうと思います。実際、大玉特有のリッチな操作感に魅力を感じなくはありません。ただ、理屈はともかく現実の製品としては、長年トップ層の進化が止まっている大玉が今でも親指型より上だと本気で思っているとしたら、それは老いて物の見方が凝り固まっているか、使い慣れた物しか使えなくなっているだけじゃないの?とも思ってしまいました(こらこら煽るな)。
進化が止まっているどころか、ベアリングローラーから小玉と同じ人工ルビー支持球に退化してしまっている現行の大玉トラックボールなんて、明らかに球の大きさや重さに支持構造が負けているので言うほど滑らかに回り続けるようなもんでもありませんし……
私が普段主に使っているのはM575というロジクールの安い方の親指トラックボールですが、あれは最新機種だけあってボールのコーティングが進化していて、先発の上位機種よりもよく回るほど。正直、操球感で今でも親指型が負けているとはまったく思えません。それに、高速移動と精密操作の両立なんてのは今時の製品ならワンタッチでいつでも感度変更できるようなスマートな機能を備えれば済む話です。エレコムあたりはそういう方向性ですね。
操作性に関しては「実製品では進化速度の差で追い越されてるけど、理屈ではそうなんだろうな」と納得はできた一方、大玉の方が疲れないという説は、うーん……正直まったくわからん。キーボードとの往復の移動距離、中途半端な高さで指を伸ばして重めの球を転がす負荷、縛りプレイのようなドラッグ操作など、むしろ指が疲れるなぁと思う場面の方が個人的には多いかも。親指トラックボールとの比較ではなく、一般的なマウスとの比較であれば大玉の方がまだ楽ではありそうです。
結論:原理的な優位性は認めるが、実製品として今から選ぶ価値は本当にあるか?
しばらく使ってみて、SlimBlade Trackballは良い製品だとは思いますが大玉そのものが全然合いませんでした。ごめんなさい。本当はこの記事はボツにしようかとも思ったのですが、一方の偏った意見ばかりが世に残れば不幸なフォロワーが生まれるかもしれませんし、「本当にそうかね?」という反論の意味で、反対側に偏った意見をあえて残すことにしました。
ほぼ繰り返しになりますが、最後に私の結論をもう一度まとめておきましょう。確かに理屈の上では大玉トラックボールの方が操作性に優れるのかもしれないけれど、それは同世代の製品で技術レベルが揃っている前提の話であって、2022年現在の実製品では、停滞した大玉より進化している親指トラックボールの方がよほど良いです。
長年大玉を使い慣れている人、あるいは左手デバイスとして使いたい人、左右分離型キーボードの中央に左右対称のトラックボールを配置したい人などはあえて大玉を選ぶメリットがあるでしょう。そうでない限りは今から手を出すなら親指型でいい、と思いますよ。